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努力を無駄にする方法

「努力すれば報われる」

 

今までいっっくらでも聞いてきたであろうこの言葉。

 

貴方はこの言葉を見て、どういう感想を持つだろうか。

「その通り」だと思う人もいれば、「それは嘘だ」と思う人もいるし、

何の根拠もなく、薄っぺらいヤツが言うような綺麗事だと思う人もいる。

 

この言葉に対しての自分の感想を一言で表すとズバリ

「定義不足」。

 

結論から言うと「正しい努力をするから報われる」のであって

努力の方向が間違っていれば、その努力は簡単に裏切ってくるんだよね。

これこそが「努力を無駄にする方法」

 

例えば

「英語ペラペラになりたい」って目標を持ってる人がいるとするでしょ

ならやるべきなのは、単語を聴いて実際に口で発音するとか

拙くてもいいから外国人と積極的に話すとかすべきなんだよね。

 

でもなぜか「ノートに英単語1万回書けばペラペラになる」と考えちゃう人がいる

勉強方法を根本から間違えてるの。はたからみたらアホ丸出しなんだけど

実は勉強方法を間違えちゃう人が多分9割くらいいる。

 

どんな勉強、目標を立てて取り組むにしても、皆最初は素人だと思う。

その素人の自分が、「こういう風に勉強していこう」みたいに

勉強方法を最初に考えるじゃん。そこでちょっと考えて欲しいんだけど、

 

素人が考えた勉強法が正しい方向を向いている保証はどこにある?

 

多くの人が「この通りに勉強していけばきっと報われる!」と勝手に盲信する。

ラソンコースを勝手に逆走して、いつかゴールに辿り着くと信じている。

 

取り組むことに気を取られて、「目標設定」を熟考しない。

それに気付いて軌道修正できる賢い人もいるけど

変なプライドを抱えて頑なに勉強法を変えない人もたくさんいる。

 

だから本当に賢い人は、正しい努力とは何かを考える。

それを見つける方法はいくつかあるんだけど、一番手っ取り早いのは

「正しい努力を知っているプロを見つけて弟子入り」することだと思う。

 

そこまでたどり着ける人はかなり少ないし、

弟子入りして最後まで付いていける人はもっと少ない。

 

 

 

・・・もう書きたいことは全部書き終わったんだけど

なぜ人は努力の方向生を間違えるのか自分なりに考察してみた。

 

 

結論から述べると「学校」の存在じゃないかと考える。

 

学生の頃、「ここをテスト範囲で出しますよ」と、

「ここを勉強すればテストの点が上がりますよ」と先生から言われるのが学校。

 

つまり先生が「努力の方向性」を予め提示しているので

生徒はそれに従って勉強をするだけでいいわけで

生徒からすれば「努力さえすれば結果が出る」という構図が出来上がる。

 

社会人になっても学生と同じノリで物事に取り組むから

「目標設定」を軽視しがちになるんじゃないかと思う

 

知らんけど

旅行の話

1~2ヶ月くらい期間掛けてヨーロッパ旅行(4ヶ国、6都市)を計画してるんだけど

例の感染症のせいで一向に目処が立たずにいる。

 

来年には行けるやろうと思ってたけど、とにかく一向に世間の空気が変わらない。

なのでProwalkっていうYouTubeチャンネルがあるので

それで旅行した気になっている。


今はすぐにでも行きたいと考えているんだけど、

ただこれも一度行けば満足すると思う。

 

欲しいものは手に届かないからこそ価値を見出すのであって

「いつでも手に入る」という実感は逆に欲を低下させるんだなぁと。

カリギュラ効果だっけ?

 

とはいえ自分にとっての旅行は娯楽であって

あまり有意義な金の使い方では無いことはわかってるんだけど

そういうのにはいつも抑制が効かないあたり

自分は頭が悪い人間なんだなぁと感じる

大きな変化

去年の2020年で、社会に対する考え方と生活に対する考え方に大きな変化があった。

 

去年の2~3月頃、コロナで世間が騒がれだした時のこと。

ぶっちゃけ当時は新型の感染症がどういう物か分かってなかった。

それは自分もそうだし、社会全体もそうだったと思う。

 

とにかく新しいウイルスがヤバい。伝染ると危ない。

だからステイホームを呼びかけましょう。それは正しいと思う。

 

でもなにがヤバいのか?どういう面で危険なのか?致死率は?

そこまで自分で調べて、理解していた人はどのくらいいただろうか。

 

とにかく社会で騒がれてるから自分も呼びかけますみたいな

自分の頭で考えない人達だらけなことに気付いて、

そこから一気にSNSというものがくだらなく思えてきた。

薄っぺらい人達が薄っぺらい言葉をかけあって馴れ合ってるばかりで、

そしてそこから出る情報に意味はそれほど無いことに気付いた。

 

ただ1つ得るものがあったとしたら、

「それは本当に必要な物なのか?」と考える思考が身についたことだ。

 

もう一つが生活面での変化。去年と今年は色々あって、

簡単に言えば金に困らなくなった。

(普通に暮らしていく分には)一生働かなくても大丈夫になった。

でも部屋からは物がどんどん減っていっている。

「それは本当に必要なのか?」を突き詰めていくと、本当に必要なものは

ほとんど無いことに気付いたことが理由だ。出費はむしろ減っている。

ハイスペックなPC、iPhone、エアコン、ベッドさえあればどこでも生活できることがわかった。

音楽CDを極力Apple Musicで代用し、本も電子書籍で代用するようになった。

どうせ高く売れないでしょ。本もCDも。

もう一人住んでる人も同じような思考になっていってると思う。

 

一昨年とは比べ物にならない「余裕」が手に入ったので、

もうしばらく経ったら良くしてくれた方々に返していきたいと思っている。

失敗の話

ぶっちゃけ過去のことは語るだけ無駄だと思っているので

あまり書きたくはないんだけど、退屈が過ぎるとたまに適当に書き殴りたくなる。

 

会社でも会社外でも、自分は色んな失敗を繰り返してきた。

あるプロジェクトで、gitで間違ったファイルを更新してしまって

別の人の1日分の仕事を無駄にしてしまったこともあれば

 

とある交渉事で相手の対応に感情的になって交渉そのものを反故にしたこともある。

(これに関しては、このまま続けたとしても上手くいかないだろうとも思ってたけど)

 

自分自身の性格に難があることはわかっているので、

最近は自分と価値観が真逆な人でも理解をしようと心がけるようにしている。

 

でも疲れるんだよね。色々と。

ただせめて良くしてくれた人には何らかの形で恩返ししたいとは思ってるんだけどね。

メール返すのも面倒だと思っちゃうクズだけど。

見た目とのギャップ

自分は思ったことをすぐに口に出す性格ではあるが

頭で考えてることの約30%くらいしか口に出していない。

 

 

本当に馬鹿正直に全てを喋ると相手も自分も傷つくからだ。

相手を思いやっているわけではない。自分が傷つきたくないだけだ。

 

ただ他人を前にすると過剰に相手に気を遣う状態になり

言葉を選ぶだけで脳のキャパシティを超えてしまうため

相手の言葉がすぐに理解できなかったりする。

 

だからブログやSNSみたいな媒体だと自分の面倒な部分が噴出したりする。

でも、独り言でもいいからこうやって吐き出さないとパンクしてしまう。

 

自分は積極性に大きく欠ける人間だと思う。

良いと思うものは過剰なくらい前に出すが

少しでも自信が無ければ勝負を仕掛けようと考えない。

完璧主義とも言えるだろう

 

自分から何かを積極的に出すことは少ないが、

相手から質問をされれば、あるいは賛同されれば過剰なくらい吐き出す。

はち切れ寸前の風船のようなもので、何もしなければ何ともないが

誰かがつつくのを待っている。

この強い受身の姿勢が無ければ人生は多少変わってただろうか。

 

 

 

はっきり言って自分は協調性に欠ける。

もっと正確に言えば他人に気を遣い過ぎてすぐにキャパシティを超えてしまい

「自分勝手」を発動してしまう。

その自分勝手を発動した自分を責めてしまうため、

人間関係にすぐに疲れてしまう。面倒臭さを感じてしまう。

 

人から何かを得ようとするから不満が溜まって不幸になるのなら

初めから何も求めずに孤独に生きていくほうが楽だったりする。

ショーペンハウアーやらニーチェやらが似たようなこと言ってた気がする

煙草吸って依存で苦しくなるんなら始めっから吸わなきゃいいみたいなね。

煙草吸わんからしらんけど

 

昔からロックやメタルよりもヒーリング系とかジャズとか

クラシックならドビュッシーとかラヴェルとかを好むのは

退屈を感じながらも心の平穏を奥底で求めてるからかもしれない

 

思えば自分の作る曲も自分に刺さる曲も

add9コードとかsus4を含んでるものが多い気がする

疑り深い性格と同調するんだろうか

 

一人のほうが楽な筈なんだけど

たまーに孤独感や謎の焦燥感に苛まれる時がある。

だから今こうして無計画に書きなぐってるんだけどね

 

自分の欠点は受け身の姿勢が固いところだろう。

それは自己肯定感の低さからやってくる。